個展の感想をいただきました

歌人・結崎剛さまより素敵な文章をお贈りいただきました。ありがとうございました。

遠のく要望……
外田千賀『ホロスコープの追憶』

結崎 剛(歌人)

 遠くから見ると、ひっそりと、殆ど消え入りそうなくらい時を経た、確かな技法で描かれたと思しい人物画が並んであって、それが聖女たちのイコンか何かのような佇まいを放ちつつそこにあるのが知れて、近づくと、蟹の形のカバンや、髪の毛の先がサソリの尻尾になっている女の子たちがいて、ハッとする。
 現代の少女たちを描いているものが、これほどまでに静かで確固とした技法で描かれてあることに沸々とした歓びが湧く。
 そうしてよく見るとそれが、十二星座になぞらえて描かれているのがわかって、だから彼女たちのうちの一人は裸で水瓶をぶちまけているし、けったいな大魚をもたされたりしていて、まるで昆虫が針で留められるようにポーズをとらされ堅苦しそうにそこにあって、それが笑いを催し、可愛くって、でもそれがやがて、彼女たちが、星のように搖るぎなくそこにあることを願っての、画家の業だろうかと思われてくる。女の子への讃歌であるのは、疑うことができない。意地の悪いところなく、賛美することのできる清らかさ……
 それにしても、彼女たちの思わせぶりな表情やしぐさは、物凄く遠くにあるもののように感じられるのはどうしてだろう。
 じぶんが美しいものを描いてしまうことを思わず隠してしまう画家の身ぶりのなかで、まるでヴェールに包まれたように、彼女たちの美しさやなんらかの主張は、とても遠くにあるものに見える。
 それはたとえば、海原を見つめていて沖でなにかが光ったとき、それ自体には殆ど意味がないはずなのに、思わずこちらの欲望がかきたてられ、目を凝らし、行動に移ろうかと逡巡させる対象だ。
 愛する者のまなざしや身ぶりになにか強い意味や要求があるかもしれないと思うのに似ていながら、そのまえを周遊し通り過ぎることもできる、深閑とした展示が、心地よい。一つの幸福に達しているこれら一くさりの画が、どれも売れてしまって、どこかへ散るのだということを話すと、「ドラゴンボールみたい」と、画家は嬉々と笑ってくれる。